男はいつでも、本気になったときが青春だ。
汚くて、最低で、格好悪くて、どうしようもない。映像の質感もそれを強調。でも何かに一生懸命な男は格好良いのだ。峯田和伸本人はインタビューにて自分は田西とは違うと発言しているが、やはりこういう役が一番ハマる。本作は原作の中盤までを映画化したもの。これ以降は物語の転換期で趣旨が変わってくるので映画化にあたっては良い判断だったと思う。
上を向いて歩こう。
「昔は良かった」「最近の若者は」…そんなオジサマ臭が画面から漏れてきそうな映画ではあるが、実際にこんなに熱くて、力強くて、信じるもののある時代を生き、築いてきたのであれば現代の若者を嘆くのも無理はない。そんな60年代の力強さや昭和感をアニメという手法で上手く引き立ててあり、やはりなんでも実写でやれば良いってもんじゃないなーと改めて実感。
失神してみる!?
日本でも大ヒットした「マッハ!!!!!!!!」等のタイ産アクションと同じように、ノーCG、ノースタント、ノーワイヤーというコンセプトの作品であるにもかかわらず、こんなにも安っぽいのはなぜだろう。原因はスローモーションの多用だけではないような気がするのだが。今年2月には西冬彦×武田梨奈第2弾である「KG」が公開するそうだが、本作と同じような出来にはなっていないことを祈るばかりである。
想像もつかない“何か”が起こる…
松本人志監督第2作目。言葉少なくシュールなネタが続くため、大きな笑いこそ無いものの、くすぐるような笑いがクセになる作品。劇場では女性の笑い声が聞こえず男性の(小さな)笑い声ばかり、やっぱり松本人志なんだなぁと感じてしまった。ただ、後半は完全に蛇足。映画だから何かしらのオチは必要だろうが、小難しい「映画らしさ」は不要である。だって監督は笑いの天才松本人志なのだから・・・。
「つながり」こそがボクらの武器。
平凡な主人公が騒動に巻き込まれるが、仲間とともに世界を救うことになる的な作品かと思いきや、主人公は数学の天才であり、登場する仲間も天才・凄腕ばかり。表面はさわやか青春映画を気取っているが、こんなんじゃ一夏の思い出を体感した気になんてなれないよ・・・。展開も予定調和だし、全体的に浅い。といいつつ、それなりに楽しんでしまったわけだが。アニメだからか?
今じゃなきゃダメなんだッ!
誰もが通ったであろう、妄想したであろう、青春の生々しく目をそらしたい、忘れたい部分のみで構成された79分。常に嫌悪感を感じつつも最後まで目が離せない。だって性春だもの。ヤリたい盛りの17歳童貞の代名詞となる主人公の不快さも相当なものだが、彼が少し”男”になるラストシーンは気持ちが良い。性春→青春メソッド。
僕たちは最強となる!
ギークvsスーツという構図は大好きなものの、サーバくらいデータセンタに置けよとか、あんな糞重そうなサイト誰も使わないだろとか、あんな貧弱そうなサーバ1台じゃサーチエンジンの運用なんて不可能だろとか、リリース前日になんで社員誰もいないんだよとか・・・。そもそも終盤はギークでもスーツでも無いし。この手の作品てなんでこうも雑なんだろ。それにしても、佐々木蔵之介の巧さは異常。
ボクがしたかったのは・・・こんなバンドじゃない!!
主人公の苦悩や葛藤を中心にストーリーが展開していくが、本作の魅力はそこではないはず。原作のように苦悩や葛藤をギャグとして処理しないと、肝心の笑いどころまでもおもしろさが半減してしまう。コメディなのに。 あれ、これコメディではなく主人公の「こころのせいちょう」を描いた感動映画として売ってます?
百万円貯まったら、この家を出て行きます。
各地を転々とするストーリー展開が、薄いストーリーを引き延ばすためだけの苦肉の策に見えてしまう。まぁ引っ越しが重要なファクターであることはわかるけども。展開や演出があまりにも少女漫画的だし、言われなくてもわかっていることをわざわざ台詞で発表されても・・・。ここは喪女を主演にするべき。
ひとりの女性が日本と決別した—。彼女が彼女であるために。
作中を支配する閉塞感。色彩を落とした映像も世間の非情さを強調する。主人公の女性は根拠の無いバッシングを受けるかよわい存在というよりは、身勝手でコミュ力不足の、人から煙たがられるような存在として描かれているが、これは映画を観た観客にも彼女をバッシングしたくなるような真理を持たせるための演出の一つなのだろうか。